本の名前
共感資本社会を生きる 〜共感が「お金」になる時代の新しい生き方〜
新井 和宏、高橋 博之
Kindleにて読了
この本を選んだ理由
幼い頃から、現代社会というものにモヤモヤとした疑問を持っておりました。
こんなに豊かなニッポン!って言われているのに、みんな幸せそうじゃない。
みんな働きすぎで、家族との時間も少ないでしょ。
人々の間のコミュニケーションも少ないし、なんだかみんな疲れてる。
そんなこと思いを燻らせていたはるき少女は、
鹿児島にきて、農村に入り浸るようになり。
今思えば、人の繋がりとか自然に近い暮らしに、
ジメジメした今の社会を打ち破る、何かを求めていたのかも。
私は大学生活で思った。
やっぱり、人間の幸せの本質は、自然に近い田舎の暮らしにあると。
留学から帰って来て、大学生活も残り1年になった。進路を考える時期になった。
そんな時期だからこそ
「働くってなんだろう」「なんのためにお金を稼ぐのだろう」
って悩みに直面してる。(現在進行形)
「そもそもお金ってなんだろう。」
なんだかこれをほっぽって、なんとなく社会人になるのだけはやだ。
そういうモヤモヤした思いを持って、ある尊敬できる大人にこの質問をぶつけた。
そしてオススメされたのが、この本だったの。
読んでの感想。一言で言うと
「いやは〜〜〜めっちゃいい本を読んでもうた!!!!」
です。
爽やかな読了感!ワクワクした気分😚
ウンウン頷きながら、一気に読んでしまった。
これまではるき少女が感じていた、気持ち悪い何かが、言語化されて、スッキリした感じ。
これは、
頭の硬いおじさんも、未来に希望を持てない若者も、どんな人にでも読んでほしい良書です。
内容
この本は「お金のプロ」と「食のプロ」のお二人の対談形式で進んでいきます。
お二人とも本当に話がわかりやすい。そして考えが深くて、あったかくて、面白い。
新井 和宏さん
バリッバリに金融界で働いていたが、大病とリーマンショックを機に、今の形の見えない経済に疑問を抱える。
鎌倉投信を企業。「社会貢献をしているいい会社にしか投資しない。」という新しい投資会社。
新しい共感コミュニティ通貨eumoを立ち上げ、普及に全力をあげている。
高橋博之さん
就職氷河期に新聞社を100社以上受け、全滅。故郷の岩手に帰り、岩手県議になる。事業家に転身し、「東北食べる通信」「ポケットマルシェ」を始める。
私は食の界隈に興味があるので「食べる通信」「ポケマル」と聞いて、
うおおお!この人なのか!と勝手に興奮。
面白いのは、
お二人とも、当時の幸せとされていた
「バリバリ働いてお金を稼ぎまくって、いいもの買う」っていう価値観を
なんの疑いもなく受け入れてたこと。
人生の転機を重ねて重ねて、
今の、肥大しすぎてる資本主義のあり方に疑問を持つようになったんだとか。
ある女子高生の言葉
高橋さんは若者に向けた講演会で、ある女子高生にこう言われたそうだ。
「人生100年時代がやってくるっておとなたちは言うけど、高橋さんは 10 代の自殺者の数、知ってますか? まずは、若者たちが絶望して死にたくなる社会を変えるほうが先なんじゃないですか?」
「幸せとは何か?」
これこそ、今の人間(日本のような物質的に豊かな先進国の人びと)が悩み苦しんでいる問いだろう。
そして、その鍵を握るのは「お金」だろう、とも。
いまの日本は、人間がお金の奴隷になってしまっている。
まるでお金のために生きているようで、目指していたはずの幸せからどんどん遠ざかっている。
お金に縛られない自由な生き方こそが、人間にとって本当に幸せな生き方なんじゃないだろうか
本の中から抜粋した、いい文章たち。
それはいまの社会システムが、何でもお金で解決しすぎるというところで、その結果として多くの人がお金に依存してしまっている。社会全体が「お金依存症」になっているのではないか、と強く感じています。
みんな「社会の豊かさ」って言うけど、極端にお金に依存させるような構図がつくられていて、僕には社会がお金依存症になっているようにしか見えない。
僕、1974年生まれですけど、高度経済成長期が終わった頃なんですよ。まさに、家でも学校でも端的に言えば幸せの意味なんていうことを考えさせられる場もなく、とにかく勉強していい会社に勤めて安定的な給料をもらうのが幸せな人生なんだってすり込まれて育った。
いまの若い子たちはその波しぶきなんて受けていないので、おとなたちが長い人生 60 年 70 年生きてきてやってきたことっていったら、ローンを払ってきただけにしか見えなくて、結局そのおとなたちは幸せなのかと思うわけです。
いろんなものを食べさせて、ジムに通わせて、となる。しかも、病人が増えれば増えるほどGDPは拡大する。犯罪率が増えれば増えるほどGDPは拡大する。こうなってしまっては、 GDPはもはや社会の豊かさを適切に測れていない ですよね。
衣食住が足りず、短命で、みんな生きることに必死だったときは、ある程度幸せに生きるためにはいろいろな物が生活に必要だし、それを手早く手に入れるために使われたお金は、そのときはあくまで交換の手段だった。
ところが衣食住も満ち足り、もはやそんなに物が必要ではないにもかかわらず、さらにお金を貯めて、もっといい物を買おうとしている。手段から目的になってしまった。
本当に人生を幸せにしてくれるものって、
やっぱり素晴らしい人と出会うことだと思う。
定価っていう概念を変えなきゃいけない。
定価なんて本当はどうでもよくて、あなたから買うから私はこれぐらい払いたいっていう、 ギフトをする習慣をつける ってものすごく大事だと思っている。
つまり、 お金はお礼だ 。「ありがとう」なんです。
たとえば、払うほうがどうせ明日に期限が切れちゃうお金だから——僕らは「 腐るお金」って言っているんだけど——、
「すごくいい人だったので全部渡します。あなたが好きですから。あなたのサービス、最高によかった」っていって渡したら、
それはつくる側は嬉しいし、「あ、こういうお客さんいたな。このお金を使う人ってこういう思いで使ってるんだな」っていうのが見えてくるわけじゃないですか。
そういう経済圏をつくったほうが僕は豊かになるなって思っていて。
一生懸命やっている人たちがバカを見る社会って、僕は絶対あっちゃいけないと思っている。
それは何のせいかっていうのを遡って考えてみると、 いまの社会ってコストをかければかけるほど損だってなるんだけど、そのせいなんだよ。
それはなぜかっていうと定価が決まっているから。それに対して原価は下げるほうにいかない限り儲からないからっていう話になるんだけど、そうすると原価を下げる圧力がどんどんかかるわけ。そうするといい物をつくれるわけがない。「安くておいしい」が成り立っているのは、誰かがどこかで犠牲になっているからなんです。
意識で気持ちいいとか楽しいとか幸せだ、豊かだっていうのは実感できなくて、感覚が大事なんですよね。
言語化できない感覚として、夕日でもなんでもいいんですよ。自然の移ろいが純粋に感覚として自分の中に流れ込んできて感動するみたいな、そういうのがいまないんですよね。
それよりスマホで写真を撮ることに躍起になっている。
都会にいると不自然ななかで生きているから、不自然が普通になってしまう。不自然すぎる状態になっていると、不自然が当たり前になるので、自然がわからなくなる。要は感覚が鈍るっていうことですよね。 鈍ったまま判断をしつづけると、自分の不自然さがわからなくなる。逆に、地域に行けば自然があるし、自然に触れていれば不自然さがわかるようになってくる。
たとえば、田舎でやってることは、生活なんですよね。衣食住に時間をかけている。だから地に足がついている。暮らしの主役の座にいるっていうか。
都市住民が大半の時間を使っているのは、仕事であって生活じゃない。暮らしの主役の座から退き、観客席に座っている。生きるリアリティから遠ざかるのも当たり前だと思います。
会話でいうと、都会の飲み会ってわりとスマホを片手に飲んでいる人たちが多い。心ここにあらずみたいな感じで。目の前の会話をしつつ仕事をしたり他の友人とチャットしたりって、結構ありますよね。僕は話してるときにメールされたりすると、すごくいやな気持ちになっちゃうんです。
だけど田舎って飲み会でスマホを見てる人の率は割と少なくて、その場にみんな集中して楽しんでるんですよね。その場の一期一会って二度とないじゃないですか。
飛行機や新幹線など高速交通手段が発達したり、メールにスマホと人の忙しさを緩和するためのものが生まれたりしているのに、結局、さらに忙しくなっているという。
本気じゃない失敗は不毛ですけど、本気でやった失敗って財産です
ひとりの人間が自分の人間関係だとか地域の中で総合的にいまの自分の立ち位置を決めて、やれることを想像し、創造していくことがミソなんです。
いかに唯一無二をつくれるか。これって、部分最適のロボット的思考ではなかなかできないことだと思うんですよね。生産の意味ですよ。これまでの生産とこれからの生産。
生産者の復権 にもつながることだと思います。
まとめ
この本の最後に、元ウルグアイ大統領のホセ・ムヒカさんのお話が出てきた。
(ムヒカさんは、世界一貧しい大統領と呼ばれてた人で、自分の給料のほとんどを寄付し、自分は月約10万円で暮らしていた。)
三年前にムヒカさんが日本に来日した際、
「今の日本社会についてどう思うか」という質問を投げかけられた。
ムヒカ氏は穏やかな表情で答えた。
「幸せとは物を買うことだと勘違いしている。幸せは人間のように命あるものからしかもらえないんだ。物は幸せにしてくれない。
私はシンプルなんだよ。無駄遣いしたりいろんな物を買い込むのは好きじゃないんだ。そのほうが時間が残せると思うから。もっと自由だからだよ。
なぜ自由か? あまり消費しないことで大量に購入した物の支払いに追われ、必死に仕事をする必要がないからさ」
なんだか、本質をついている回答だと思った。
ここで、私が言いたいのは、「お金自体を否定している訳ではないということ。」
お金は、人類において一番の発明品だったと言っていいと思う。
そのおかげで、ここまで進歩してきたし、私は素晴らしいサービスを享受して生きていけてる。本当に人類至上ハッピーな時代に生きていると思うんだ。
でも今は、あまりにもお金のちからを過信しすぎて、持つことを目的にしてしまっている人が多すぎる。
そしてそれが、社会の普通になっていて、そのしわ寄せを受けて苦しんでいる人々がたくさんいる。
まずはその事実を知ること。
そしてどうすれば、もっと幸せに、みんなで真の豊かさを分け合っていけるのかということ。
本の中にも出てきましたがこの対比。
お金で解決できる、人間同士の関わり合いがない都会
↔️ 時には煩わしいけど、お金がなくても助け合いで生きる田舎
私はやっぱり、田舎にこそ、これからの幸せのヒントが詰まっているんだと思うんです。
その思いを強くしました。
時代は変わる。その都度、幸せの形も変わる。
いろんな人、個性、多様性があっていいじゃない。そのほうが楽しいじゃない?😉
そういう思いを強くしてくれる本でした。一度手に取ってみることをお勧めします。
(完)