考えたこと

帰国してから、コロナ、就活もやもや、今考えること。

今回は、2月に留学から帰ってきてから今に至るまで、
私の内面の変化やらを思い起こしながら書いていこうと思う。

ここ数ヶ月は、短いながらも過ごしてきた私の人生の中で
迷い、苦しみ、自分を見つめた期間だった。

いまだからこそ、書ける文章だと思う。
私と同じように悩める若者の少しでもの救いになるかもしれないし、
先輩方は「そういう時期もあったなあ」と懐かしく読むのかもしれない。

それではゆるりとお付き合いくださいませ。

帰国してから

今年の2月に、イギリスのバーミンガム空港から帰国。
留学前からの計画通りであった。

今思えば、あのコロナの状況を考えるとパーフェクトなタイミングに帰ってきたと思う。

あのころは「コロナっていう新型ウイルス?が出たらしいで?」みたいな感じで、
このあと起こる社会の大変化を誰も想像していないときだった。

大好きな鹿児島の仲間との再会を喜んで、久々に焼酎たくさん飲んで、
1年ぶりに長崎の実家に帰って、久々に家族と過ごして。

あ〜〜やっぱ実家はいいなあ、ご飯が美味しいなあ・・・😇と
頭のねじが抜けたように、だらだらしていた。

そこに「はるき、就活はどうすっとね」という親の言葉である。
きた。

ああ、私は就活生らしい。

らしい、と言ってるのは本当に実感が持てなかったからである。


何甘えてんだって話だけども、
帰国してから直後は、本当にぼーーーーーーーっとしてて、考えられる状態ではとてもなかった。

あまりにもあの一年は、私の人生にもたらした刺激が強すぎた。

人と出会い体当たりでコミュニケーションし、
寂しさに泣いて、
夢中で食って、
いろんなものを私の目で見て、
気まずい思いをしたり、
涙を流すほど美しい自然を見たり、
びっくりするほどの人の愛に触れた。

人生の何年分かを圧縮したような1年間であった。
現実世界にすぐに戻るのは、無理な気もする。

「大学生に戻り日本で暮らしていくこと」とのギャップがデカくて、
当時は夢見心地みたいな感じで生きていた。

とは言えども、親からすれば
いや何言ってんだ、やりたいことやったんだからそろそろ現実見ろ。
って感じである。親泣かせすぎる娘である。

先ほどの問い(就活どうすっとね)には、

「うんうん、何個かちゃんと見とる。大丈夫やけん」

と答えになってんだかなっていないんだか、生返事を残し、鹿児島に帰ってった。
親不孝な娘である。

でもあの時は
とりあえずほっといてくれ、一人で考えさせとくれエエ😱
という感じだった。

”反”普通でありたい春来

正直、いわゆる「就職活動」みたいなもんにメラメラと反抗心を燃やしていた私は、いた。
ずっといた。

他の学生よりも、大学生活を、行動的に過ごしてきた自信があった。

気になる人にはどこにでも会いにいき、行きたいイベントには参加し、たくさん本も読んだし、自分で学ぶ楽しさを知り、勉強し、たくさん自然体験をして、心ゆくまで遊んで、集大成として留学にも行けた。

そんな中で結構人と話す能力もついたし、私の考えを伝えるプレゼン力や、文章力も上がったと思う。(たかが知れているけれどさ)

大学生活では得るものは本当に本当に多くて、この4年間で私の人生は変わったし、これからずっと影響していくだろう。
ずっとサポートしてくれた家族には感謝でしかない。ちゃんと伝えられてないけど・・・。

その中で、ああ好きだなあ。って思える理想の生き方に出会った。

それは「農業が軸にある、持続可能な暮らしかた」みたいなもので、
これがあれば幸せに生きていけるなって、確信する世界だった。
このフィールドでずっとやっていきたいって思ったし、どっしりと私の中に太い軸を立てた。

実際にこの分野で、私の理想の暮らしや働き方、生き方を実践している先輩たちは沢山いる。

私は「普通の」就活をしなくても大丈夫、なんとかなるやろ。
なぜなら私にはやりたいことがあるから。
得体のしれない自信があった。

よく考えないまま、おんなじスーツを着て、おんなじメイクして、みんなで合同説明会行って、リクナビで探して、何月までにエントリーして、何月までにES出して・・・

みたいな就活に正直、嫌悪感を持っていた。
何だか気持ち悪い、と思っていた。
(何様だよお前って感じですよね・・・)

なんでそんな寸刻みで焦って進路を考えないといけないのか。
何でみんなで一緒にやらなあかんのか。
自分が主体になって決めている感じがしないのが嫌だった。
本質じゃないと思った。

あとやっぱり昔から私は、融通の効かない悪しき社会の慣習、みたいなものにずっと反抗心を持っているのだと思う。
大人に言ったら「とはいえ、社会を回すためには必要なんだ」ってどうせ反論される。


そんな生意気な思いを抱きながら大学生活を送ってきた私が、いざ就職活動。
さてどうなるのか!?

自分がわからなくなる事件

ヨーロッパでの経験を得て帰ってきた春来だが、早々壁にぶつかった。

今更ながら「いうて私には何のスキルもねえ、社会にも出たことがない若造だ」っていう事実に気づいたわけである。

大学生では、活動的に行動して、発信していれば、すごいねって褒められる。
まあそれだけである。

大学生というステージが終われば、何らかの仕事をしながら食って行かなきゃならんのだ。
想いだけじゃやってられないところもある。

私は「食とか農業とかの分野で、世の中に貢献するぞ〜〜!」っていう意気込みだけはあったけど、じゃあ私には何ができるんだって話で。
結局は私は口だけじゃんか。

私の自信はあっという間に失われて、春来自身を否定し始めた。
こうなってしまうと止まらないのが、悲しい性である。



純粋に、ワクワクと夢を語ってたあの頃の情熱は失われ🔻

何をしたいのかわからなくなり、目の力は失われ、生ける屍のように日々を過ごしていた。


しかもコロナで大学は全てオンラインで、ずっと家にこもりきりでPCの画面を見つめる日々。
首肩は痛いし、ハグできる人もいないし(ハグするとセロトニンという幸せホルモンが出るらしいよ)、寂しいし、堕落した生活。

得体のしれない不安感と焦燥感に駆られてリクナビを見るけれど、
やっぱりピンとくる会社があるわけなく。
それでもリクナビを開いてだらだらと時間を浪費していく。

焦らなくても良い進路先が見つかる!という自信は完全に失われた。
さらに自分に対する全ての肯定感も下がっていった。

私にはこれっぽっちも魅力はないよ・・・😭

今を生きている、実感が全く失われてしまった。
暗いもやに包まれた未来に目をこらして、そのことばかり考え、フワフワと今を生きていた。

イタリアに遊びに来てくれた友達に再会すると
「はるき、イタリアにいた頃に比べて、顔死んでるよ」と驚かれた。

もがく日々

そんなこんなでコロナ第一波が収まった頃、また帰省した。

正直に両親に今の就活状況を話した。
つまり、全然就活してないってことを話した。
そしたら怒られた(当然だ)(もう6月後半だった)(しかも妹は内定をもらっている)

母には、失望され、「何で就活しなかったの?」って聞かれた。

自分でもわからない。だから私は黙りこくったままだった。
両親はどうしたもんかと頭を抱える。


「好きに決めさせろい!」って啖呵きった前回の帰省から、一歩も状況は変わってないんだから当然である。
娘がキレるから口出ししたいのを我慢して我慢して、ふたを開けるとこのザマである。


何で就活していないのか。自分でもわかんない。

確かに「走りながら考える」をモットーに生きてきた私らしくない。
感覚派で理論とかよりも、直感にしたがって生きてきた私。
帰国してから2〜6月、私の思考や感覚は石のように固まってしまっていた。
考えすぎて、動けなくなってしまっていた。

その時は、とにかく元の春来に戻るために、必死だったように思う。

ひとりもがいて、もがいていた。
信頼できるいのっちゼミにメンバーに「客観的にみたはるき」を聞いてみたり、
書き溜めてきたノートを読み返してみたり
面白かった講義のレジュメを見返してみたり、
これまでのブログを読み返してみたり、
人生グラフを書いてみたり。

私をよく知る仲間は、「春来はすごいよ!自信持って!」「春来なら人生どうにでも切り開いていけるさ」って心からの言葉をかけてくれる。
それでも、それらは私を素通りしていく。

それが辛い。自分が納得しなければ、心に響かないんだ、ってわかった。
自分が、自分を取り戻さなければ。

まずは、「今を生きる」っていうことが出来るようになりたいと強く思った。

今を五感を使って全力で生きるってこと。

そうしないといつまで経っても未来に進めない。納得感を持って生きてた私に戻りたい。私にとっての就職活動はそこから始まるはず。

心震える言葉に出会い、ふわりと苦悩から抜け出す瞬間

そんなモヤモヤした中、英語のディスカッションの講義をオンラインで受けていた。
イギリス人の先生で、日本滞在歴も長い、鹿児島在住のJohn。

彼は言った、
「日本人はあまりにも、ハッピーになるのに罪悪感を感じすぎだ」 と。


勤勉で真面目すぎて、体裁を過度に気にしてしまうから、プライベートより仕事を頑張ってしまうんだって。
それがヨーロッパ人からしてみたらとても理解できないんだと。


それは1年間ヨーロッパで過ごした私は痛いほど分かった。
すごく今にフォーカスして生きる人が多かったから。
いい意味でわがままで、顔の面が厚い。仕事は仕事、家族は家族。
自分のプライベートをすごく大事にする。

「なんのために生きるのか」というところが、もっとシンプルな感じがした。


そして彼は言った


「人生はどれだけ呼吸をし続けるかで決まるのではない。

どれだけ心のふるえる瞬間があるかだ」

あ、、、

久しぶりに心が揺れ動いた瞬間だった。
胸がぎゅうううっと熱いもので満たされる感じ。

スコットランドで見た景色が脳内にフラッシュバックした。

ひとりぽっち、キャンプ道具を背負って、スコットランドを旅していたとき。

そこで見た景色が、

雄大で青くて、ただただ美しくて、そこに生きていることに感謝して、私はどうしようもなく無力に孤独に思えて、ひとり立ち尽くしてボロボロと泣いた。

人って美しいものに心打たれて、泣くことができるんだ、って泣きながら思ったし
自分が愛おしくなったし、最高に生きてて幸福だった。

私はこういう瞬間を体験するために生きてるんだって、強く感じた。

その時の感情を鮮烈に思い出させてくれた、言葉だった。

長いトンネルを抜けて、耳のつまりが取れたような。
久しぶりに世界に色づいてきた瞬間だった。


何のために生きるのか?

苦しくて堂々巡りしてた状況から、フワッと抜け出した感じがする。
もちろん、徐々にではあるんだけども。


世界の台所探検家」の岡根谷さん
(彼女は私が超やりたいことをやってる方!!
詳しくはこちらに👉https://note.com/misatookaneya

の話を偶然聞く機会があって、彼女は、

「人生なんて結局は暇つぶしなんだから。」

っていう言葉を言い放った。これはキた。


彼女は続けた、

「ーーだから、悩む前に好きなことやっちゃったら?
やる前からそんなに難しく考えてどうすんの。合わなかったらやめて他のことをすればいい。
他人の人生生きても、いつまでたっても幸せにならないよ」

世界中を旅して、いろんな台所に突撃して、それを生業にしている彼女の言葉には
すごく説得力があったし、サバサバした口調に背筋がのびた。

それだけ沢山努力を積み重ねているんだろう。
かっこいい大人だ。

「生きる意味とは?」という壮大な問いかけに、盛大にぶつかって、身動きが取れなくなっちゃてた私。

ひょんなタイミングで出会った言葉に、こんなに救われるものなんだな。


そういえば、本にも救われた。

 


私が生きる歳月なんて一瞬で、その中で経験できることも限られてる。

人類の歴史も、地球の歴史に比べるとほんの一瞬で、いつか未来では地球もなくなっちゃう。

宇宙の視点に立つと、地球も本当にちっぽけなわけで。
それを考えると、悩んでるのもアホらしくなってくる。


そんな暇あるなら、今生きているこの瞬間に足を踏み締め、
息を引き取るまで出来る限り、心震える瞬間に沢山出会いたい。

そう思うようになって、ようやく深く呼吸が出来るようになってきた。

不安に任せてだらだら浪費していた時間は、納得感のある時間になっていった。

溜まってた読みたい本を一心不乱に読み、
ジブリを映画館のスクリーンで観て、
新しい趣味としてコカリナを始め、
私が今食べたいものを作って味わい、
朝日に照らされる桜島を心ゆくまで眺める。

お帰りなさい、はるき!

さてこれから

「自分は何を軸に生きていきたいのか?」「私はどんな人間で何ができるのか?」
これをひたすら問い続け、暗闇の中を手探りでもがいていた数ヶ月間。

今ようやく、留学に完全にけじめをつけて終えられた気がする。

私のアンテナの調子が戻ってきたのを、感じる。
今は自分のそのアンテナに任せて、自分の進路先を、ワクワク探している。


本来、就職活動ってとてもワクワクするものだと思う。
絶対ご縁があるところに行き着くし、そこが人生のゴールじゃないんやから。
私の本能の赴くままに、マイペースにやっていこうと思います。

よし、整理するために書こう。

こうやって生きて死ねたら幸せだ
  • いろんなことを自分で経験して、実感のある言葉を語れるようになる。
  • いろんな人に会って話して、全てをワクワク面白がる
  • 「今」を責任持って、楽しく生きること。過去も未来もとりあえず気にしない。

かっこいい人間になれるように、頑張ります。
私に勇気を分け与えてくれた、言葉を送ってくれたみなさん、本当にありがとうございます。

この深い問いかけに、このタイミングで、立ち止まってじっくり向き合えたのは良かった。
人生ってなるようになってるんだな。

ちなみにJohnが送ってくれた言葉は、アメリカのボブ・ムーアヘッドという
牧師さんの説教の一部です。ものすごくステキなので、こちらに貼っておきます。

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