よくみんなに「なんで春来は農業に興味を持ったの?」と聞かれます。
まあそりゃそうだ、
大学では週末も時々平日も(講義休んで)農家さんのところにお手伝い行ってるし、
今は農業留学してるし・・・。
なんでそんなに情熱もってるんだ!!!将来農家さんになりたいの?
っても聞かれます。
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そういう私は、実は、元々は、 農業に興味はなかったんです。
ええ〜っ!? なんでやねん!って思いました?
自分の頭を整理する意味でも、 「私が農業に興味を持ったきっかけ」 について、ちょっくら語ってみましょうか。
自然大好きっこ🏕
今思えば、親から、環境教育をかなり受けていたなあと思う。
山浦家の旅行といえば、キャンプだった。
四人用の大きいテントや、折りたたみ椅子、自転車、食材をくるまに詰め込んで、レッツゴー!
車の窓を全開にして、森の空気や匂いを感じるのが最高に好きだった。🌿
キャンプ場では、ミミズを捕まえて、川で魚釣りしたり。
夜はご飯作って、キャンプファイヤーして、カードゲーム。
4人用のテント立てて家族で川の字で寝て。
私にとって最高にワクワクする時間だった。
そういや仲良しの家族ぐるみでも、よくキャンプ行ってたな。
子供同士で探検に行って、大人は大人でお酒飲みながら語ってた。
最高に楽しかったなあ・・・ 😌
今思えば、自分で作ったりすることに楽しみを見出す家庭だった。
リカちゃんハウスは、一時期木工にハマっていた父と母によって作り出された。
ミニミニベッドにミニミニキッチン。ミニミニ階段にミニミニお風呂。
市販のリカちゃんハウスより何倍も素敵で子供心ながらにすごく誇らしかったのを覚えている。
私と妹で、喜んで遊んでいたな。
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実家は、父と母が大工さんと相談しながら設計した。
壁の材質にこだわったり、かっこいい大きな梁を天井に入れたり、屋根裏部屋を作ったり。
父の強い要望で薪ストーブを入れたり、緑あふれる庭を作ったり、
我が実家ながら、センスのある素敵なお家。
私も将来こんな家を作りたいものだ。
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日本の典型的な中山間地で、田舎で、畑と森に囲まれてる環境。
父方のじいちゃんばあちゃんの畑もたくさんある。
自転車で友達と探検に行ったり、秘密基地作ったり、ままごとしたり。やることは尽きなかった。
とにっかく自然の中にいるのが大好きだった。
小さい頃から都会派より田舎派。
長崎市街でさえ、一日中いると人が多すぎてげんなりしてた。
なのでその頃から、「私は絶対絶対将来田舎に住む!」って明言していたなあ。 笑
「しろくまが沈む!??」大ショック受けるの巻
自然体験や、環境問題イベントに行くことも多かった。
ある子供向けのイベントで、地球温暖化について扱っているイベントに参加したとき。
「地球温暖化によって、しろくまが、海面上昇で沈んでしまう」
という説明を受けた。
私たち人間たちのせいで、私の大好きな自然が汚されて失われている
という事実。
子供心ながらに、すごいショックを受けたのね。
あれが私のでっかいターニングポイントだったように思う。
まあそんなこんなで、小学校高学年くらいには将来の夢は、
ピアニストから「環境を守る人」になった。
「環境を守る人」ってすごく漠然としてるでしょ。
どういう職業が当てはまるなんて知らないし。
あまりにも大きいテーマっていうのはわかってた。
家に置かれていた「13歳のハローワーク」をパラパラしてみたりもしていた。
私の夢に重なりそうな職業は、「自然保護官」だったんだけどピンとこず。
なんか環境系のNGOで働くとか?
国連の機関で働くとか??
北極でカメラマンするとか?
探検家になるとか??
うーーん私にとって壮大すぎる・・・笑
高校生、進路選択が迫られていた。
「自然保護官」と言えば、森林が思い浮かんだ。
だったらとりあえず農学部!!
これが私が鹿児島大学農学部を選択した理由。
つまり、私は
農業に興味があって農学部を選んだんじゃなくて、
環境保護に興味があって農学部を選んだのね。
当時の、私の農業のイメージ
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私の父方の祖父母は、ネギ農家だった。
長崎で子供時代に終戦を迎えた祖父母。
彼らがあの原爆投下当時を生き延びてなかったら、私はここにいないことになる。
私の父、伯母たちを、農業一本で育てあげた。
相当な苦労もあっただろうなあ。本当に頭があがらない。
私の父親は、幼い頃から、朝から晩まで働き続ける両親を見て育った。
農家の大変さを染みるほど知っていた。
「農業は大変で割に合わない」
長男だった父は、じいちゃんから跡を継げというプレッシャーがあったが、農家には絶対ならないと固く誓っていたんだって。(実際父は後を継がなかった)
っていう話を、よく聞いていた私。
やはり私には 「農業=きつくて儲からない」 というイメージがあった。
農家さんと聞くと、モンペを履いたおばあちゃんが腰を曲げて作業しているのを思い浮かんだ。
あの頃の私にゃ、正直言って、魅力的にはうつらなかった。
今じゃもんぺのおばあちゃん見ると超カッコいいと思うけどね!!!!
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山浦一家が、じいちゃんばあちゃんちの隣に引っ越した当時。
おじいちゃんは、ネギ農家は引退していたけど、自給用の野菜を作っていた。
食べる野菜は、おじいちゃんからもらうことも多かった。
毎夏、彼が作るスイカが楽しみで仕方がなかった。
すぐそこで、私のじいちゃんが作った野菜を食べている。
それが私の心を満たしてくれていた。
当時は、その満足感がどこから来ているのかは、わからなかったけど・・・。
超かっこいい農家さんとの出会い
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大学入学後、早速、私は面白そうな講義を見つけました。
その名も「田んぼでアウトドア」。
最高やん!受けない理由がないわい!!と思い、受講を即決。
この年の受講者は、女子7人でした(なぜか男子はいなかった笑)
この講義は、本当に私の人生を変えるきっかけだったと思う。
この講義は、合鴨農法というやり方でお米を育てている農家さんの元で、1年間を通してお米の育て方を学ぶというもの。
合鴨農法、聞いたことありますか?
これは合鴨を田んぼに放すことで、無農薬、化学肥料不使用でお米を作る農法なんです。
「有機農業」とも呼ばれます。
それまで私は、そんな農法があるなんて全く知りませんでした。
そして最後は、合鴨を屠殺して、自分でお肉にする。
そのことを事前に知らされての、スタートでした。
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舞台は大学から車で一時間ほどの、自然豊かな農村、蒲生町・漆。
私たちへ、田んぼが与えられました。
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雛を放鳥し、月に1.2回のペースでみんなで訪問しました。
来れない分は、農家さんにお願いして作業してもらっていました。
イノシシよけの柵を立てたり、
ひたすらヒエ(田んぼに生える雑草)を手作業で刈ったり、
収穫して、天日干しにして、精米。
一から全部お米ができる工程を学びました。
そして、合鴨最後の時。
屠殺する前は、みんな緊張していました。
意外におとなしい合鴨たち。
喉にナイフを入れる時、全然簡単に切れなくて焦って、ごめんごめん・・と言いながら
早く楽にさせてあげたい一心で力を込めました。
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合鴨たちの命が尽きてからは、淡々と作業が進められました。
農家さんの慣れた手つきで、どんどんとお肉らしくなっていく合鴨たち。
手さばきがかっこいい。
あっという間にいろんな部位に分けられ、馴染みの深いお肉になりました。
その場面は私にとって、忘れられないものになりました。
その日の夜は合鴨米と合鴨肉でパーティ!
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私たちが育ててきたお米は、ほんのり甘みがあって何杯でもいける旨さ。
私たちが絞めた肉は、噛めば噛むほどうまみが出てくる。
あのご飯は本当に満足感があって、本当に美味しかった。
今でも忘れない、強烈な食の記憶。
そしてこの農家さんがさ、もう、超カッコよかったんだよね。
本当にいろんなことに対して知識があり、農作業着も渋く、かっこよく着こなして。
(←これ大事)
センスのいい木のおうちに、カッコいいキッチン、たくさんのジャンルの本、ジャズを聴きながら夜が更ける。
なんて素敵なの!!!!😍
田んぼの豊かな生態系を守るために、合鴨農法をやっている。
彼は彼の人生を楽しみ、信念を持ち、農業をしていた。
なんてかっこいいんだろうと思った。惚れてもうた。
衣食住を作り出し、豊かな生態系を守りながら農業をする。
あ、私これがやりたいのかも。
ぼんやりとしてた私の夢「環境を守る人」に、輪郭が与えられた瞬間でした。
農家さんってすごすぎる
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それから、私は、暇さえあれば、鹿児島の農村に繰り出すようになりました。
行くさきは、農家さんのもとです。
農作業を手伝う代わりに、たくさんご飯を食べさせてもらって、夜もお家に泊めてもらったり・・・・
たくさんお世話になりました。 鹿児島は私の第二の故郷です。
たくさんのお父さんお母さんがいる感じ。
大好きで、あったかい。ああ、早く帰りたい・・・😂
作業中に、いろんなお話を聞いたり、人生相談・恋愛相談に乗ってもらったり、将来の夢を語ったり・・・ それは夜になっても、焼酎片手に続きます。 🍶
働いて、お腹すかせて、たくさんご飯食べる。
なんてったって、この時のご飯が一番美味しいの。
クッタクタになって、頬張る白米の味と言ったら!とれたての野菜の味と言ったら!
肉体労働をしたものに与えられる特権じゃあ!
話はちょっとそれますが 「百姓」って、どういう意味だか知っていますか?
昔の農家さんというイメージを連想する人もいるかもしれません。
「姓」は「仕事」っていう意味を持ちます。
百の仕事ができる人のことを「百姓」って呼ぶんです。
超カッコよくないですか?
昔は、誰もが百姓でした。
誰もが自分で野菜を育て、加工し、建物を建てて、服を作り、道具を修理することができた・・・
衣食住、なんでも自分で賄っていたんです。
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私は、出会ってきた農家さんを、敬意を持って「お百姓さん」って呼びたい。
彼らはなんでもできる。
野菜を作るプロで、どうやって食べれば一番美味しいのかもわかっている。
ちょっと道具が壊れれば自分で修理しちゃう。
とにかく生活の知恵を豊富に持っている。
訪ねていく農家さんは誰もが、自分の仕事に誇りを持っています。
そして農業が、他の職業とおおきく違う点は、「自然環境に大きく左右される」ということ。
工業製品のように、材料さえあれば決まった量の製品を作れるようなもんではない。
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手塩にかけて作った作物が、超大型台風で全滅したり、長雨でやられたり、干ばつで枯れちゃったりする可能性もある。
大切に育ててきた家畜が、伝染病で全頭殺処分しなきゃならない、っていうことが、平気で起こりうるわけ。
それでも食っていかなきゃなんないんだから、相当な精神力です。
彼らには、大自然の恵みに頼り、したたかに生きていく強さがある。
私が出会ってきた農家さんは、とてもあったかくて、とても人間らしい人ばかりです。
だから、本当に彼らを尊敬するし、彼らみたいな「百姓」になりたいと心から思う。
つうか、普通に考えて最強じゃないですか、食べ物自分で作れるって。
人間は食べないと生きていけない。
どんなにどんなにえらい人でも、農家さんいないと生きていけないんだよ!!!
だから、私たちの命の根幹を作ってくれる方々(農家さんだけじゃなくて、漁師さんもだね)に、
私たちはもっと敬意を払って、感謝するべきじゃないかって思うんだ〜〜。
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そういうわけで、私は生涯かけて、「食と農」にずっと関わっていきたいのです。
長々と書いてきましたが、 私が農業に興味を持ったストーリーでした!
読んでくれてありがとう!
終わり。