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本の名前
池上彰と考える、仏教ってなんですか?
2014年10月20日第1刷発行/ Kindle版
この本を選んだ理由
今の日本人にとって、宗教は、遠い存在になっていると思うのね。
子供の頃は、何も知らなかったよね。
お寺と神社の違いも、高校生くらいまであんまりわかってなかったし・・(汗)
お葬式という、頻繁にはないイベントで、ようやく仏教を感じるくらいか。
あと、お盆とか・・・?
おばあちゃんちに行けば、仏壇があって、チーンってするけど、よくわからずにしてた。
日本の宗教は、仏教がメインってなってるはずなんだけど
なんでこんなに知らないんだろう?
学校の授業でも深く教わっていない(少なくとも記憶に残っていない)
というか、宗教って聞くとなんだか怖いイメージもあるし。
重要なことだと思うけど、よく知らない。なんだかモヤモヤ。
ヨーロッパに来て、キリスト教を日常に垣間見て、興味が出てきて。
トルコに行った時、現地の人々の優しさの理由に、イスラム教が生活に根付いていることがわかって。 (なんとなく抱いていたイスラム教=過激、敬虔すぎる、というイメージが綺麗さっぱりなくなった。)
各地の歴史的建造物は、宗教に深く結びついていると知って。
キリスト教、イスラム教について、自分なりに勉強した。
では、日本の宗教については?
外国人によく聞かれる質問。「日本人の宗教はなんなの?」「神道ってなに?」「お祈りとかするの?」
これに全然答えられない私、やばいじゃん?
ということで、仏教について初心者向けの本を探し、行き着いたのがこの本。
池上彰さんだったら間違い無いだろうってことで。
内容
そもそも仏ってなんだろう❓
仏とはブッダのことです。紀元前五世紀ごろ、古代インドに現れたブッダという人物が説いた教えが、後に仏教となりました。
おお〜よくブッダって聞くけど、=仏様だったのか。
ブッダは当時、一般に信じられていた「輪廻転生」を前提に教えを説きました。輪廻転生とは、人は死んでも、また何かに生まれ変わって、この世に戻ってくるという考えです。
仏教では、この輪廻の輪から抜け出すことで、苦しみから逃れ、心の安らぎを得ることができるとされています。
よく「生まれ変わったら何になりたい?」みたいな会話するけど
(私はクラスの女子からチョコをたくさんもらう男の子になるつもり)
ここから来てるのか〜!
中東で多くの殺し合い、紛争が「神の名の下で」正当化されていて、過激なイメージがある。
歴史的に見ても、キリスト教やイスラム教を代表とする一神教では、宗教戦争が絶えなかった・・・。
逆に、チベット仏教の信者が多く住むチベット自治区では、抗議行動は焼身自殺の形を取る。
その違いはどこから来るのか。
信じる宗教が一神教かどうかという違いは、その人の価値観を大きく左右します。唯一絶対の神を信じる人にとっては、その神を信仰しない宗教など認められない、異教徒は敵だということになりやすくなることがあります。
宗教だけが原因ではありませんが、一神教を信じる者同士の対立が多くの戦争を引き起こしてきました 。
なるほどな。
仏教の基礎となる教えとはなんなんだろう?
諸行無常諸行(あらゆる物事)は無常(同じままとどまることはない)であるということです。物も人も、人の心も、人と人との関係も、すべては移り変わっています。昨日と今日では違いますし、明日はまた別の姿となります。美しい花もいつかは枯れてしまいます。ブッダでさえ命には限りがあるのです。
諸法無我
すべての物は不確かで変化するものだから、私という実体も存在しない。そう理解することで、他人と比べたり執着したりするなどの様々な苦を遠ざけることができる。それが諸法無我の考え方です。
一切皆苦
実にこの世は、思うにまかせない辛いこと、苦しいことだらけです。この考え方を「一切皆苦」(すべては苦である)といいます
「諸行無常」「諸法無我」「一切皆苦」この三つを、ほかの宗教にはない仏教の象徴的な教えという意味で三法印と呼びます。これに「涅槃寂静」を加えて四法印と呼ぶこともあります。
まあつまりまとめると。
ブッダの教えを振り返ってみると、「死んでからどうなるのか」ということは、いっさい説いていないことがわかります。ブッダは死後の世界をあえて語りませんでした。死後の世界があるともないとも言っていません。
あくまで生きている間に修行をして、悟りを開くことが目的ですから、
「いかに生きるか」が仏教の教えの根幹だったのです。
超わかりやすい日本での仏教の流れ。
六世紀に伝わった仏教は、まず、日本という国の形をつくる基盤としての役割を与えられました。飛鳥時代から奈良時代、僧侶は国家の体制を維持するために、国家公認の資格をもつ官僧として、仏教という学問を学び、加持祈禱を行ないました。仏教は国家のための宗教として保護され、栄えました。
平安時代には、遣唐使として唐で最新の仏教を学んだ最澄と空海が帰国しました。政治と密着した官僧によって俗化が進んだ奈良仏教とは一線を画し、奈良とは離れた地に修行の場を開きました。
最澄が開いた比叡山延暦寺から、法然、親鸞、道元、日蓮などが登場しました。それまで朝廷や貴族を相手にしていた仏教を、天変地異や戦乱の世で救いを求める庶民にまで広めたのが鎌倉仏教です。法然と親鸞は「南無阿弥陀仏」と唱えれば極楽浄土に行けるというシンプルな教えを説き、仏教は一気に広まりました。
これらの鎌倉仏教の僧侶は、きちんと供養してほしいという庶民の願いに応じて葬儀を引き受けるようになりました。日本仏教と葬式の密接な関わりのスタートです。
江戸時代、幕府はキリスト教を禁止するため、日本人全員をどこかの寺に所属させる檀家制度を導入しました。浄土真宗の拡大によって世襲制の寺が増え、お寺と檀家、地域との関係性が固定化されました。
僧侶は地域の葬儀・法事を一手に引き受けることを代々の家業とするようになり、葬式仏教が確立しました。
そして現在。信仰心もお寺とのつながりも希薄になり、葬式をお寺に任せることの意義さえ問われています。お寺の存在感が薄くなった今、仏教の教えも一般の人々には伝わりにくくなっています。
仏教が葬式くらいでしか感じ取れない理由もしっかり書いてありました。
仏教がもっぱら「死」担当となったのは、日本独自の仏教の発展の結果です。
仏教の生死観
以下、池上さんとチベットのダライ・ラマ法王の対談から。
私はこの時代、日本に生まれましたが
昔から、「もし私が他の時代、もっと貧しい国に生まれてたら・・・」と想像することはよくあります。
生まれた瞬間から、戦乱の最中に生まれるのか、豊かな国に生まれるのかといった不公平が生じるのは決して偶然ではなく、その前の人生に原因があると考えるのですね。
人はなぜ、特定の場所、特定の両親のもとに生まれることになるのか?
前世からの積み重ねで、次の人生の初期設定が決まると考えるのですね。
なーる。この仏教の考えに沿っていけば、私の前世の人の行いが、わたしの人生の初期設定を決めてくれたのか。
私の前世、ありがとう。家族にも友達にも囲まれてとても幸せです私。
さらにダライ・ラマさんは、死についても語ります。
死とは、ただ衣服を着がえるようなものなのです。私たちの肉体は古くなっていくので、古い身体を捨てて新しい身体をもらうわけです。
誰にとっても、死は怖いし、考えたくないものです。
私が死ぬのもやだし、大好きな人が死ぬのも、言葉にできないほどの苦しみでしょう。
死に直面したとき、私たち自身の心の中に満足感があれば、他の生きとし生けるものに対するやさしさと思いやりがあれば、あるいは、他の人たちの役に立ちたいという利他の心があれば、私たちの死は確実に安らかなものとなります。つまり、悪い行ないを一切しないように努力し、できる限りよい行ないをして功徳を積んでいれば、非常に安らかな心持ちで死を迎えることができます。
できるだけのことをしたんだという満足感があり、他の人たち、他の命あるものたちに害を与えることもなかったと人生を振り返ることができれば、死を喜びをもって、何の不安もなく迎えることができます。
「仏教を志す者として、何が必要か」ダライ・ラマさんは言います。
現代において必要とされている知識や教養を正しく備えた上で、私たちがひとりの人間として、他の人をやさしく思いやる気持ちを持っていなければならない。
これって、仏教信じる信じないに関わらず、人間としてとても大事なことだよね!!
まとめ
最後に池上さんはこう結びます。
「仏教を知ることは、己を知ること。そして、日本を知ることです。」
この本を読んで、仏教にさらに親しみを抱くようになりました。
ゆるく、いろんなものを許容する感じがとても好き。
言ってることも、私の生活に還元できそうだし、より良い人生にできるヒントが隠されてる気がする。
今の時代こそ、日本人は仏教に注目するべきなのかも・・・
まだまだ初心者だけど、もっと仏教のこと知りたいな。と思いました。
あ、このサイト、めちゃくちゃ仏教のことわっかりやすく解説してるので見てみてください!
仏教ってどんな宗教? 〜いつ、どこで、誰が作ったどんな宗教?仏教の基本と特徴をわかりやすく解説!〜