今回は、私の大好きな先生、いのっちについて書こう。
彼との出会いは、私の大学生活、私の人生を素晴らしく変えてくれた。
本当にこれだけでも、鹿児島大学に来た甲斐があった。
始まり
2016年、鹿児島大学に入学した私。
入学したての頃、ずっと憧れていた大学生活の始まりに、胸が高鳴っていた。
なんでもできる!この四年間何をしようか・・・とにかく夢と希望で胸がいっぱいだった。
一年生は、共通教育といって、自分の専門にかかわらず色んな講義を受講できるの。(農学部の講義だけじゃなくて、文系の講義でも)
大体の大学ではそうなのだろうと思うけど。
なに受けよっかな〜♬と、パラパラと講義のしおりをめくっていたら、ある講義が目に飛び込んできた。
「自然学校へ行こう」
え、なになになになになに!!!
自然学校に行けるの!?めっちゃ面白そうやん!
とりあえずアウトドア大好きな私は、「自然」って書いてあるだけで飛びついた。
だって自然学校だよ!? 面白いに決まってるがな!取らないわけがない!!
『人数制限あります。メールくれたら優先的に受講資格あげます』って備考欄に書いてある。
速攻、担当教員にメール。
でね、この講義がもう、最高にぶっ飛んでたの。他にこんな講義なんてない。人生を変える講義だった、といっても過言ではない。
この講義のルール。講師は毎回変わる。
探検家、農家さん、環境教育の分野で働いている人・・・
いろんな方が、講師として、やってくる。
みなさん、自然と関わった仕事をしているっていう点と、レールに乗っからない生き方をしている点で共通している。
この素晴らしい講師陣は、ご自身のライフヒストリーや、やっている取り組みや、大学生に伝えたいことを一コマフルでお話するんです。
講義の後は有志で、ゲスト講師を囲んで茶話会。
さらにその後、居酒屋で飲みながら、さらに深く話を聞く。
彼らは、本当に自立していて、心底生きることを楽しんでる。とにかくかっこいい大人の方々。
なんて贅沢な時間!!✨
もう、どれだけ刺激を受けたことか。この講義が毎回毎回楽しみで仕方なかった。
大学卒業したら、会社に入って働くという選択肢しか知らなかった私。
「こんな生き方があるんだ・・・!」と衝撃を受ける。
ああ、私ってなんでもできるのか。
大学入学一発目に気づけたのは、本当にラッキーだった。
変わり者の担当教員
さて、この私の人生を変えた「自然学校へ行こう」の担当教員。
その名前は井倉洋二先生です。通称いのっち。
いのっちとの出会いは、私の大学生活を、ガラリと変えました。
実は「自然学校へ行こう」を受ける前に、いのっちを見かけていたんです。
大学入学直後、農林環境学科のオリエンテーションの場で。
各先生が自己紹介の場面、いのっちの番が回ってきた。
彼の話し方、立ち振る舞い、なんだか他の先生と違っていて、とても惹かれるものがあった。
「あ、この先生好きだな。面白そう」とビビッときたの。
その春来センサーはちゃんと作動していたようで。
この講義で再会することになったのです。
この先生は、環境教育が専門で、大学の演習林(大学が所有する森)の職員でもある。
常に「若者よ!田舎で起業しよう!」と学生にそそのかしている先生。
(実際に、そそのかされた先輩たちが、自然体験・環境教育の道に入り、プロとして生きていっている。)
私は、将来田舎で、自給的な暮らしを営みたいと思っている。
どうすれば生計を立てていけるのか、というのも重要事項。
彼の話はとても共感できた。
いのっち自体、大学教員の中で、めちゃくちゃ浮いている存在である。
大学の組織体制にハマりきっていない。
そもそも学生に自分のことを「いのっち」とニックネームで呼ばせる先生を他にしらない。
こんなに学生に慕われている先生を他にしらない。
こんなに学生と、毎日飲んかたしてる先生を他にしらない・・・・w
こんなにぶっ飛んだ大学の教員を他にしらない・・・・・www
うん、つまりこの先生が大好きになってしまったわけだ。
そこからの大学生活、何かといのっちと関わらせてもらいながら、過ごしてきた。
というか、面白い案件が、この人の所に集まるというか・・・笑
実際に田舎で、自然と共生した暮らしをしている人の場所を訪ねたり。
いのっちの講義で、鹿児島の田舎にいって、農家さんの農作業を手伝って、焼酎片手に呑んかたしたり。
学生何人かと共に、九州の面白い人、場所を訪問する、九州縦断旅を計画したり。
大学周りのお店で一緒に呑みにいったり。恋愛、人生、なんでも相談に乗ってもらったり。
お酒の飲み方を教えてもらったり・・・・。(大事)
苦しい時の逃げ道
最初はとてもワクワクして、なにもかもがキラキラして見えた大学生活。
徐々に違和感を感じるようになっていきました。
なんだか高校生活の延長に乗っている感が拭えなくて・・・
そもそも大学って、これが学びたい!っていう意欲を持った人たちが集まる場所のはず。なのに・・・。
とにかく受動的な学生が多いこと・・・
講義ではみんな死んだ魚の眼をしている。誰も発言しない。 教授もそれをわかっていて、黙々と講義が進められる。
あの独特の、教室に漂う雰囲気が、とても息苦しい。つか不気味すぎ。
なんとなくみんな大学進学するから進学して、最小限の努力で単位をとる。
単位をなんのために取る?
大学を卒業するため?
なんのために大学を卒業するの?
いい会社に入るため?
大学に入学した!と思ったら、すぐに就活の案内がくる。
自由にやれば自由にやるだけ、熱い想いを語るだけ、
「すごいね」「意識高いね」って言われる。
それってどういう意味だろう?
高校までの教育で染み付いた、組織の中で教育されるのに慣れていて、与えられたことしかこなすことしかできない。
いざ、自由な場所に放り出されたとき、なにも動けないで途方に暮れている人が多い。
そして、大学側にも、昔からの慣習にとらわれて、バカバカしいルールがとても多い。
(地方大学だからだろうか?国立大学だから?都会の私立とかだと、また違うんだろうか)
いや、わかってる、これって贅沢な悩みだって。
私の両親が必死に働いたお金で、私を送り出してくれた、彼らには頭があがらない。
でも、だからこそ、大学にきた訳がわからなくなってしまったりして、悩んだこともたくさんあった。 私はなぜここで時間を過ごしているんだ??
そんな時、私はいのけん(井倉研究室)ところに逃げる。
いのっちの周りには、特定の学生が集まってくる。
大学の教育体制にはまりきれなくて、息苦しさを覚える子達。
みんな、自分が本当にやりたいこと、好きなことを求めて、自主的に動いている。
いのっちのゆるやかさが好きだ。
こうでなきゃいけない、っていう常識から私を解放してくれる。
私のことを肯定して、なんでも背を押してくれる、応援してくれる。
1人の人間として、親身になって接してくれる。
私はこれでいいんだって、勇気が出てくる。
これからも、いのっちは変わらずに、いろんな学生の心の拠り所になっていくんだろうな。
それが嬉しい。
そしていのっちに出会えたことに心から感謝する。私、ほんといい運を持っている。
結論。
大学はいのっちのような変わり者の教員を増やすべきである。
時間の融通がきく、この大学生活を思いっきり、活用してやる。
これからの人生をもっと豊かにしていくために。